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われわれが仕事を成しとげる時

〔あらゆることを主のみこころどおり行ないなさい〕

2014年9月27日(土)

一日の働きは、やがて終りになる。
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一日は、信仰を維持するのに十分な長さである。あすのことはあす自身が思いわずらうであろう。
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われわれが神と兄弟とに対して犯したすべての不正の許しを願う祈りがなされる。
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われわれが何も感ぜず、何も理解しない時にも、神がわれわれと共に、われわれのうちにいてくれるようにと願う祈り
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われわれが疲れるならば、神がわれわれを守るために必要なわざをしてくれるであろう。

ボンヘッファー、『主のよき力に守られて~ボンヘッファー1日1章~』
村椿嘉信・訳、新教出版社、1986年6月30日発行、477f。

1日が24時間であることはとても感謝なことです。これ以下なら何かを成すにはあまりにも短すぎるでしょう。これ以上ならばその重荷の大きさに耐えきれないでしょう。
また1日として区切りが与えられているということはすばらしいことです。区切りなく続いていくとするならば、振り返り感謝することが難しいでしょう。
1日という区切りは、感謝する時であり悔い改める時です。ですから「夕べの祈り」において、感謝と悔い改めと夜をみ手にゆだねることとを祈ります。

(祈り)
神さま、1日を感謝します。犯した罪を赦して下さい。兄弟姉妹を祝福してください。すべてをゆだねます。


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