〔あらゆることを主のみこころどおり行ないなさい〕
2014年9月26日(金)
イエス・キリストが弟子たちと共に嘱託についてから後、キリストの共同体の食卓の交わりは、主がその場に共にいるということによって、祝福されてきた。
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第1に・・・イエス・キリストをすべての賜物を与えてくれる方として理解する
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第2に・・・この世のすべての賜物がただキリストのためにのみ備えられているということをキリストの共同体が認識する
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第3に・・・イエスの共同体が、<主がわれわれと共にいてくれますように>と祈る時、彼らの主が確かにそこにいると信じるということを意味する
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食卓の交わりは、何かの祝いのようなものである。食卓の交わりは、日々の労働のただ中で、創造のわざをなし終えた直後の「神の休息」と、一週間の労苦の意味であり目的である「安息日」をいつも思い起こすために、われわれに与えられるものである。われわれの生活は、ただ労働と労苦だけではない。それはむしろ、神の慈愛によって回復され、神の慈愛のゆえに喜びを持つものである。
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神は、日ごとの食事を通して、常に、われわれを喜びと祝いへ招いているのである。ボンヘッファー、『主のよき力に守られて~ボンヘッファー1日1章~』
村椿嘉信・訳、新教出版社、1986年6月30日発行、475ff。
イエスさまは、地上の公生涯において、しばしば食卓を囲まれ、食事を楽しまれました。弟子たちと共に、この世のさげすまれている人たちと共に・・・。
その席にはいつもイエスさまが、共にいてくださったので豊かでした。
またイエスさまが主人となってふるまってくださる食卓でしたので、皆は食事を楽しみとともに、あるいは食事を楽しむことを通して、イエスさまご自身を喜びました。
イエスさまはすべてを与えてくださるお方であり、この世のすべてのものは、ただイエスさまのために備えられています。私たちは日ごとの食卓を通して、イエスさまが共にいてくださることを味わい知ります。
(祈り)
神さま、日ごとの食事を与えてくださることを感謝します。また日ごとに食卓を囲めることを感謝します。食卓を囲める愛する方々を備えていてくださることを感謝します。