〔あらゆることを主のみこころどおり行ないなさい〕
2014年9月24日(水)
物ごとや価値の世界は、キリストを通して、神の創造の目的にそってすでに人間のために定められているのである。
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神によってすでに人間のために定められているという限界内・・・この限界を超えるところでは、物が逆に人間を支配するようになり、人間生活全体が倒錯する危険に陥るのである。
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すべての価値が偶像化してしまう・・・そのような偶像化は、人間を破壊する熱狂に由来するものであり、人間を偶像のために犠牲にするものであるからである。
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それ自身において価値のあるものが、誤って、直接的な仕方で、人間の利用価値という観念からのみ見られ・・・このような俗悪なプラグマティズム〔物ごとの価値を、生活上の実践に利益があるかないかで決定しようとする立場〕は完全に排除されるべきである。
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「物」の世界は、根本的、本質的に人間の世界のためにあるのであり、人間の世界という目標を持って定められているのである。このことを理解することによって、初めて人間は、「物」の世界に対する完全な自由を手に入れ、その世界の深さに達することができるのである。ボンヘッファー、『主のよき力に守られて~ボンヘッファー1日1章~』
村椿嘉信・訳、新教出版社、1986年6月30日発行、471ff。
「物」は神さまの創造された目的に従ってもちいなければなりません。神さまが物を創造された目的は「人間のため」です。しかしこの人間のためというのは、少し複雑です。
神さまのご支配を忘れて、ただ人間のために、というと、それは真の意味で人間のためにということにはなりません。偶像化し、人間を破壊し、ときに物のほうが人間を支配するようになるのです。
またプラグマティズム、すなわち、人間の利用価値という点で、人間のためにということでもありません。
神さまのご支配の中で、人間のために、ということが理解されるところで、物に対する完全な自由を手に入れ、その世界の深さに到達することができるのです。
人間が神さまをどこかにやって、高慢の中で、物を操ろうとすると、さまざまな問題を生み出すのですが、神さまのご支配の中で、物の限界を知り、物とともに歩むとき、物の豊かさを知ることができるのです。
(祈り)
神さま、あなたの豊かなご支配の中に生活することができるように。