〔私たちを試みに会わせないでください〕
2014年9月10日(水)
悪魔は、神の律法と、神の怒りが本来きびしいものであるということを隠すことによって、われわれを「霊的に高慢になるという罪」に誘惑する。
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悪魔は、われわれを「神の恵み」によって安心させようとする。
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「安心への誘惑」に、「絶望への誘惑」が加わる。前者においては、悪魔によって、「律法」と「怒り」が攻撃されたが、ここでは「神の恵み」と「約束」が攻撃される。
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・・・この絶望は、絶望する者を神に対する冒涜の罪におとしいれるか、あるいは自滅へと駆り立て、絶望のせっぱつまった行為に至らせるかのどちらかであろう。ボンヘッファー、『主のよき力に守られて~ボンヘッファー1日1章~』
村椿嘉信・訳、新教出版社、1986年6月30日発行、448f。
悪魔の誘惑には、安心と絶望があります。
神さまの律法、怒りを小さいものと考え安心してしまうことと、神さまの恵みと約束を小さいものと考え絶望してしまうことです。
いずれも神さまの前における高慢です。神さまよりも自分を優先していることの結果です。
神さまを第一にして悔い改めと平安に生きたいと思います。
(祈り)
神さま、あなたの律法と怒りの大きさを教えてください。そしてあなたの恵みを約束の確かさを教えてください。