〔私たちを試みに会わせないでください〕
2014年9月8日(月)
サタンは力をもっているが、しかしそれは、神が許す限りにおいてである。
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サタンは、罪人に死をもたらさなければならない。なぜなら「罪人」が死ぬ時にのみ、「義人」が生きるからであり、「古き人」が日々、完全に滅びる時にのみ、「新しい人」が復活するからである。
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信仰者は、<自分たちのあらゆる誘惑は、すでにイエス・キリストがわれわれの中で試みを受けた誘惑である>ということを理解することを学ばなければならない。ボンヘッファー、『主のよき力に守られて~ボンヘッファー1日1章~』
村椿嘉信・訳、新教出版社、1986年6月30日発行、445f。
「あなたがたの会った試練はみな人の知らないものではありません」(第1コリント10章13節)。
この中の「人」を、世間一般の人、この地上の人間のことと考えていましたが、このボンヘッファーの言葉によると、イエスさまのことを指しているように思えてきます。
苦しみの時に、みんなも経験したことなんだ、と思うことで少し気持ちが楽になることがありますが、それだけではなく、イエスさまが誰よりもまことの人となって経験してくださったのだ、という信仰が私たちを試練の苦しみから自由にしてくれるのだと思います。
イエスさまは世の終りまでも共にいてくださり、私の試練を共に担ってくださるのです。
(祈り)
神さま、試みの時にも、また試みの時にこそ、あなたが共にいてくださることを確かにすることができますように。