〔愛は忍耐強く、情け深い〕
2014年9月2日(火)
もし愛なしにすべてを望もうとするのであれば、それはばかげた軽はずみであり、根拠の何もない楽観主義である。愛によってすべてを望むことこそが力なのであり、それによってはじめて民族も、教会も再び健康を取り戻すことができるのである。
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相手を愛することのために、相手に健康を取り戻させ助けを与えることのために、すべてを信じ、すべてを望む者は、苦しまなければならない。なぜなら、すべてを信じ、すべてを望む者は、自分の愚かさをもって悪に挑もうとするので、この世から「愚か者」と見なされ、それどころか必ず「危険な愚か者」と見なされるようになるからである。
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すべてを耐える愛は、勝利を獲得する。
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パウロが愛について語っているこの聖書の箇所(第1コリント13章)全体を指し示す「しるし」があるとしたら、それは「十字架」というしるし以外にはありえないであろう。ボンヘッファー、『主のよき力に守られて~ボンヘッファー1日1章~』
村椿嘉信・訳、新教出版社、1986年6月30日発行、434ff。
愛のない希望は、もはや愛ではないのかもしれません。あるいは愛があるから希望に生きることができるのかもしれません。
愛によってすべてを望むことこそが力である、のです。
この力によって今日も生かされたいと思います。
(祈り)
神さま、愛によってすべてを望む者としてください。