〔愛は忍耐強く、情け深い〕
2014年8月31日(日)
愛は、悪を見るが、それを数えたてることをせず、むしろそれを許すのである。
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愛は、日々新しく、他者に出会い、新しい愛をもって向き合い、過ぎ去ったことを忘れるのである。そのために愛は、人々の物笑いの種となり、愚か者と見なされるかもしれないが、それでも愛は、決して当惑することなく、かえって愛するためにさらに前進し続けるのである。
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愛想がよく、ただ憎しみをおおい隠すだけで、むしろ憎しみをさらにつのらせるようなあらゆる仮装を見るよりは、愛は、憎悪と不義と虚偽をはっきり見つめようとする。ボンヘッファー、『主のよき力に守られて~ボンヘッファー1日1章~』
村椿嘉信・訳、新教出版社、1986年6月30日発行、431f。
憎悪と不義と虚偽をはっきり見つめつつも、それらをゆるそうとするのが愛です。
そのようなことは、この世界から見れば、物笑いの種となり、愚か者と見なされるようなことかもしれませんが、それでも、ゆるし続けるのです。
日々新しく他者に出会おうとするのです。
(祈り)
神さま、ゆるしす心を与えてください。