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思い出の悲しみは喜びへと変えられる

〔それぞれにはそれぞれの時がある〕

2014年8月23日(土)

別離は、ただひたすらに最後まで耐え忍ばなければならない。耐え忍ぶということは初めは非常に困難なことのように思えるが、しかしそれはまた同時に大きな慰めである。なぜなら実際に隔たりが埋められないことによって、その隔たりがいつまでもお互いを結びつけるからだ。神がその隔たりを埋めるという理解は間違っている。神は決してそれを埋めることはない。しかし神は埋めずにおきながら、お互いの古い交わりを―それが大きな痛みをもたらそうと―保つことによって、僕たちを助けてくれるのである。
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感謝によって思い出の悲しみは静かな喜びへと変えられていく。過去の美しい思い出を自分に痛みをもたらすとげのようなものとはしないで、むしろ自分に贈られた貴い贈り物とみなすことだ。
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別離の時はなくてはならないというものではないが、さまざまな問題があるにもかかわらず。それによって全く驚くほど深い交わりが形成されるのである。
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僕たちが直面する現実は常に克服することのできるものであり、思いわずらいと不安のみがその別離の時を無限に大きく感じさせるだけだということである。

ボンヘッファー、『主のよき力に守られて~ボンヘッファー1日1章~』
村椿嘉信・訳、新教出版社、1986年6月30日発行、418頁ff。

別離そのものを忍耐するところに、深い喜びが生まれてくるのです。
喜びに変えられる別離ですから、別離は別離であり続けなければなりません。何かにせものの慰めによって別離が補われてはならないのです。

別離は、深い結びつきを生み出します。
別離は、過去の思い出を自分に贈られた貴い贈り物とみなす道を与えます。
別離は、深い交わりを形づくります。
別離は、そのもの自体は、克服できるものです。

過去のすべてを自分に贈られた貴い贈り物とみなし、別離が深い結びつきや交わりを生み出すことを学び、克服できる別離の悲しみであることを覚えたいと思います。

(祈り)
神さま、別離の中にあって忍耐する者とならせてください。


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