〔それぞれにはそれぞれの時がある〕
2014年8月22日(金)
一人前の大人というのは、その人が現に立っているところにいつもその人の生の重心があり、たとえ自分の願いがかなえられるようにという願望がいくら強かったとしても、その願望によってその人が、現に立っているところで、何らかの別の者になってしまうということのありえない人間ではないか。
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多くの願望が満たされないにもかかわらず、満たされた生活があるのだということである。ボンヘッファー、『主のよき力に守られて~ボンヘッファー1日1章~』
村椿嘉信・訳、新教出版社、1986年6月30日発行、417頁f。
人間は将来に向かって希望を持って生きるべきです。それが現在の生きる力になります。しかし将来への希望が、願望となり、現在を生きることにならない、つまり現在を否定して、現在に不平不満を持って生きるということであれば、それは一人前の大人ではないとボンヘッファーは語ります。
今あるところは、神さまによって置かれているところです。
ですから将来への希望を持ちつつも、今あるところで満たされた生活をすること。キリスト者に与えられている恵みとは、今あるところでありのままの人間として存在することができるということです。
(祈り)
神さま、今あるところに置いて感謝と喜びに生きる者とならせてください。