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思いわずらい

〔まず神の国を求めなさい〕

2014年8月18日(月)

「思いわずらうな。」(マタイ6:25~34から)

財貨は、人間の心にいかにも安定と安心感を与えるように見せかける。しかし本当は、これこそまさに思いわずらいのもとである。
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財貨を誤って用いてしまうことがどうして生じるかといえば、それはわれわれが財貨を「明日」の安定のために用いようとするからである。
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明日を全く神の手にゆだね、今日生きるために必要なものを受け取る者だけが、真実の安定を得るのである。
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「明日のことを思いわずらうな」―このことは生活の知恵や、「律法」として理解されるべきではない。これはただ、イエス・キリストの「福音」としてだけ、理解されるべきなのである。イエスを知って服従する者だけが、この言葉から、イエス・キリストの父の愛の約束と、すべてのものからの自由とを受け取るのである。
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われわれは、思いわずらわないことによって、神の支配を自分のものとすべきなのである。

ボンヘッファー、『主のよき力に守られて~ボンヘッファー1日1章~』
村椿嘉信・訳、新教出版社、1986年6月30日発行、409頁ff。

私たちは安心して毎日を暮したいと願っています。そのために必要を備えることは大切なことです。しかし神さまのご支配の中に生かされていることを忘れてはなりません。神さまのご支配の中に生かされていることを忘れて、まるで自分が支配しているかのように思いこんで、明日を思いわずらい始めることは、神さまのみ心ではありません。
明日のことをイエスさまが一番よくご存じなので、明日のことをイエスさまにゆだねて、思いわずらいから自由にしていただきましょう。
労苦はその日その日に十分あるのです。

(祈り)
神さま、思いわずらうことから自由にしていただいていることを、私の生活の中に確かにしてください。


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