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用いよ、しかし蓄えるな

〔まず神の国を求めなさい〕

2014年8月16日(土)

「天に宝を蓄えなさい。」(マタイ6:19~21)

イエスは、この世の財貨を用いてはならないと弟子たちに命じたのではない。イエスは弟子たちと同じような人間であり、食べたり、飲んだりもした。そうすることによってイエスは、地上の財貨を用いるということを清めたのである。使われることによってなくなり、日々の生活に必要なものを手に入れ、しかも肉体的な生命を維持させるために役立つ財貨を、服従する者は感謝をもって用いなければならない。
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しかしもし、弟子がそれを蓄えて自分の財産にすれば、そのことによって彼は、神の賜物をも、そしてまた自分自身をも滅ぼしてしまうであろう。なぜなら、蓄えられた宝に、彼の心は捕われるからである。
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神を愛することを妨げるもの、私自身と、イエスへの私の従順の間に入り込んでくるすべてのものが、私の心を捕える宝なのです。

ボンヘッファー、『主のよき力に守られて~ボンヘッファー1日1章~』
村椿嘉信・訳、新教出版社、1986年6月30日発行、406頁f。

神を愛し、自分を愛するように隣人を愛すること。そのためにイエスさまに従って日々を生きること。その従順と私自身との間に入り込んでくるものすべてが、私の宝であり、私の心を奪ってしまうものです。そしてそれは私を滅ぼしてしまい、神さまからいただいた賜物、すなわち私自身と私の従順との間に入り込んできた宝をも滅ぼしてしまいます。

その日暮らし、ということとは違うと思いますが、明日のこと、明後日のころを思い煩って、今日一日を大切に生きることができない、今日一日を喜びをもって生きることができないとすれば、それは今日一日の自分を滅ぼしてしまっていることなのかもしれません。

与えられたものを、喜びと感謝をもって用いていく今日一日でありますように。

(祈り)
神さま、天に宝を積む者とならせてください。


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