〔神の忍耐のもとにある生〕
2014年8月10日(日)
家とは、神によってこの世のただ中に建てられたものであり、この世に何が起ころうとも、平和、静けさ、喜び、愛、純粋さ、規律、畏敬、服従、伝統、―要するに幸福が宿るべき場所なのです。この世にこうした世界を夫のためにつくり、そこで働くことが妻の召命〔神によりある使命や職業に召されること〕であり、幸福です。この定めと課題がどんなに重要なもので、どんなに内容の豊かなものであるかを知る時、彼女は仕合せになります。何か新しいことではなく常に続けて存在するもの、変化するものではなく安定しているもの、にぎやかなことではなく静かなこと、言葉ではなくわざ、命令することではなく引き受けること、望むばかりではなくて実際に所有すること、―これらはすべて夫への愛によって生命を与えられ、支えられているのですが、―このようなものが妻の領分です。
ボンヘッファー、『主のよき力に守られて~ボンヘッファー1日1章~』
村椿嘉信・訳、新教出版社、1986年6月30日発行、395頁f。
家、家庭。それは、変化ではなく安定。
現在、女性の社会参画が尊ばれる時代ですので、必ずしも家庭が妻の領分とはいえませんが、変化ではなく安定をもたらすカギの人材は、それが夫であったとしても、とにかく必要です。
その人材を希薄にしてしまうならば、家庭は成り立ちません。結果、様々な問題が発生することでしょう。
変化ではなく安定を。にぎやかなことではなく静かなことを。新しいことではなく常に存在するものを。
(祈り)
神さま、この世界に、そして私たちに家庭を与えてくださったことを感謝します。