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神に反抗し、高慢になりながらも

〔神の忍耐のもとにある生〕

2014年8月3日(日)

「さて、人はその妻をエバと名づけた。生きるすべての者の母だからである。」(創世記3:20)

ここでわれわれを驚かせるのは、アダムの言葉の中に、自分の呪いについて創造者に捧げる深い感謝のようなものが同時に響いてくるという事実である。これは不思議な矛盾とは言えないであろうか。神から遠く離れた世界で人間の生命が保たれていることについて、創造者に感謝がなされているのである。これは、人間が「神のようで」あることを許されていることについての創造者への感謝である。

ボンヘッファー、『主のよき力に守られて~ボンヘッファー1日1章~』
村椿嘉信・訳、新教出版社、1986年6月30日発行、384頁f。

罪を犯した人間を、神さまは滅ぼすことなく救おうと願っておられること。これこそ奇蹟です。
罪人である私を、神さまは生かしていてくださるということ。これこそ奇蹟なのです。
私は、生かされていることをただ感謝するばかりです。

(祈り)
神さま、罪人であるこの私を生かしていてくださることを感謝します。十字架と復活に現されたあなたのご愛を感謝します。


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