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あなたの愛がこれほど私たちを苦しめると誰が想像したであろうか

〔主よ、あなたは私よりも強い方です〕

2014年7月25日(金)

「主よ、あなたがわたしを説き伏せたので、わたしはその説得に従いました。あなたはわたしよりも強いかたなので、あなたはわたしに勝たれたのです。」
(エレミヤ書20:7)

あなたに対する思いが私の中で強くなった時、私は弱くなりました。

ボンヘッファー、『主のよき力に守られて~ボンヘッファー1日1章~』
村椿嘉信・訳、新教出版社、1986年6月30日発行、366頁ff。

キリストを信じ、キリストと共に歩む道は、次第に神さまが強くなり(もともと強いお方なのですが)、自分自身は弱くなる道です。

宗教的確信は、時に非常に強い力を帯びていきますが、キリストを信じるということは、その逆に私たちを導くということでしょう。この世の多くの宗教は、自分自身が強くなる道を私たちに語りますが、キリスト教信仰は、自分自身が弱くなる道を語ります。

信仰生活において推奨されるべき事柄、たとえば、使徒の働き15章でのエルサレム会議では、異邦人キリスト者の信仰生活における推奨されるべき事柄について話し合われていますが、その時点では「偶像に供えて汚れた物と不品行と絞め殺した物と血」とを避けることが、話し合いによってきめられています。しかしパウロ書簡を見ると、さらに議論がなされているようにも思います。ローマ人への手紙14章15節では「もし、食べ物のことで、あなたの兄弟が心を痛めているのなら、あなたはもはや愛によって行動しているのではありません。キリストが代わりに死んでくださったほどの人を、あなたの食べ物のことで、滅ぼさないでください。」と語り、信仰生活において推奨されるべきルールを守ることよりも、兄弟姉妹を愛することのほうが優先されるべきことである、と語っているようです。

十戒を守ることは大切なことと思いますが、しかしそれが守れない私たちのためにイエスさまの十字架と復活があったのですから、このイエスさまを信じる私たちは、どんな理由があるにせよ兄弟姉妹を滅ぼさない道を選択しなければなりません。兄弟姉妹を滅ぼしてでも成り立たせなければならない信仰のルールなどないのです。

(祈り)
神さま、神さまの喜ばれる道を歩むといいつつも自己中心と自己主張に生きてしまうことを赦してください。どうか自分自身が弱くなる道を教えてください。


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