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自由と服従

〔責任を負うこと〕

2014年7月22日(火)

イエスは、服従する方として、そしてまた自由な方として神の前に立つ。
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自由のない服従は奴隷であり、服従のない自由は放縦である。
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服従は何が善であるかを知り、その上でそれを行い、自由は勇敢に行動し、その上で何が善であり何が悪であるかの判断を、神の手に委ねる。
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服従において人間は神の十戒に従い、自由において人間は新しい十戒を創造するのである(ルター)。

ボンヘッファー、『主のよき力に守られて~ボンヘッファー1日1章~』
村椿嘉信・訳、新教出版社、1986年6月30日発行、361頁f。

神さまを信じて生きるということは、自由のある服従、服従のある自由に生かされるということです。

(祈り)
神さま、自由ある服従、服従ある自由に生かせてください。


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