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自分に与えられた場所で必要なことを行なう

〔責任を負うこと〕

2014年7月18日(金)

われわれの責任は無制限なものではなくて、限定されたものである。
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世の中を根本的に変革することではなく、自分に与えられた場所で、現実に目を注ぎつつ、必要なことを行なうということが、われわれの課題となりうるのである。
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「イデオロギーに基づく行動」の場合は、自分の正当性をいつも自分自身の原則の中に持っているが、「責任ある行動」の場合は、自分の行動が最終的に正当であるかどうかについての認識を放棄する。
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自分自身の行動の善悪を最終的に自分で知らないということ、そしてただ神の恵みにより頼むということこそ、責任をもってなされる行動である。

ボンヘッファー、『主のよき力に守られて~ボンヘッファー1日1章~』
村椿嘉信・訳、新教出版社、1986年6月30日発行、354頁f。

この世の必要は無限にあります。そのすべてに応えなければならないとするならば、応える側も無限でなければなりません。しかし残念ながら自分自身は無限ではありません。有限です。限界があるのです。神さまは限界のあるものとして私を造ってくださいました。
有限な中で隣人への愛の責任に生きようとすると、どうしても選択が必要となります。選択は「自分に与えられた場所で、現実に目を注ぎつつ、必要なことを行なう」ということを基準とします。
選択したことによって、ときに非難されることもあるでしょう。愛がないとさげすむ人もいるかもしれません。しかし「自分の行動が最終的に正当であるかどうか」は神さまだけがご存知です。自分自身であれこれと判断することをやめましょう。神さまのみ手にゆだねましょう。
そこにこそ真に責任ある行動が生まれます。

(祈り)
神さま、あなたの導きの中で一つのことを成させてください。そうしてその瞬間にすべてのことをあなたにゆだねさせてください・


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