,

何ものにも捕われることのない目

〔確固として立つのは誰か〕

2014年7月15日(火)

単純な者とは、・・・。彼は、原則に束縛されているのではなく、神への愛に結びつけられているので、倫理的な決断というような問題や葛藤から自由にさせられるのである。
・・・
ただ神にのみ拠り所を持ち、何ものにも捕われることのない目をもって神と現実を見るということが、単純さと賢さともひとつに結びつける。

ボンヘッファー、『主のよき力に守られて~ボンヘッファー1日1章~』
村椿嘉信・訳、新教出版社、1986年6月30日発行、349頁f。

多くの情報を得、それに振り回されることによって、ことの真偽を見誤ることがあります。
また原則に縛られて、本当の意味で正しい判断ができなくなることがあります。

神さまの愛に結びつけられ、神さまのおこころを第一にすることによってこそ、ことの真偽を正しく見ることができ、本当の意味で正しい判断をすることができます。

何ものにも捕われることのない目を持つことは、神さまへの愛によって可能となるのです。

(祈り)
神さま、あなたからの愛、そしてあなたへの愛によって正しい理解と判断とをすることができるように助けてください。


投稿日

カテゴリー:

,

投稿者:

タグ: