〔確固として立つのは誰か〕
2014年7月14日(月)
義務を果たすというだけの人は、ついには悪魔に対しても義務を果たすようになるであろう。
ボンヘッファー、『主のよき力に守られて~ボンヘッファー1日1章~』
村椿嘉信・訳、新教出版社、1986年6月30日発行、347頁ff。
命令を下す人がいて、その命令を受けて義務を果たす人がいます。
その命令を受けて義務を果たすだけの人は、責任が命令を下した人にあるということで、自分だけの個人的な自由を後回しにして、義務を果たすので、結果、悪魔に対しても義務を果たすことになる、とボンヘッファーは語ります。
しかしこの逆に、自分だけの個人的な自由をもってこの世の中で自分の責任を果たそうと企てる者は、よりひどい悪を避けようとして、かえって、悪であることを知りながら容易に悪に同意してしまうことがあるかもしれないので、その悲劇を用心しなさいとも語ります。
なかなか難しいことですが、人々との論争を回避しようとして、なすべきことを成さないならば、結局そこには平安がないと、ボンヘッファーは語ります。
イエスさまに導いていただきながら、イエスさまのみ心の道を求めて行きたいと思います。
(祈り)
神さま、つねにあなたのみ心の道を求めさせてください。