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われわれの語る言葉では不十分である

〔朝早く私は目を覚ましあなたに向かう〕

2014年7月5日(土)

音楽的に耽溺してしまうような無関係な動機によって乱されることのない斉唱の純粋さ、言葉だけではなく音楽的な要素にも固有の権利を与えようとする暗い欲求によって濁らされることのない明晰さ、その歌い方の単純さと非陶酔性、人間らしさと暖かさこそが地上の教会の歌の本質である。
・・・
正しい斉唱ができるところでのみ、心から歌がうたわれ、主に対して歌われ、み言葉が歌われ、しかもいっしょに歌われるであろう。

ボンヘッファー、『主のよき力に守られて~ボンヘッファー1日1章~』
村椿嘉信・訳、新教出版社、1986年6月30日発行、332頁f。

教会の賛美は、何よりも言葉が大切である、ということです。言葉があれば、音楽的なものはどうでもよいのかというと、そうでもないと思います。ただ音楽的なものが一人歩きをしてしまってはいけないということでしょう。
音楽的なものが、言葉を喚起するものであるならば、音楽的なものもたいそう重要なことです。
二千年の教会が大切に歌ってきた賛美の数々を、代々の教会の兄弟姉妹と共に歌いたいと思います。また現代のさまざまな民族に生きている音楽にのせた賛美の数々を歌いたいと思います。また世代を超えた兄弟姉妹の文化の中に生きている音楽にのせた賛美の数々を歌いたいと思います。

(祈り)
神さま、あなたさまを心から賛美いたします。


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