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創造する神の背後にはどのような問いも立ち入ることができない

〔はじめに神は・・・・・・〕

2014年6月26日(木)

まず神がいて、それから神が何かを創造したのではない。そもそもの「はじめ」に神は創造したのである。
・・・
ここで、二つの問いが生じる。この「はじめ」は、神の「はじめ」であるのか。それとも神によるこの世の「はじめ」であるのか。しかし、この問いが発生すること自体が、「はじめ」の意味を何も知っていないということの証拠である。
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以上のことから、次のことが明らかになる。それは、「はじめ」というものが、決して、時間的な規定ではないということである。時間的な「はじめ」であれば、その背後に立ち入ることができる。しかし、「はじめ」を性格づけるものは、全くの一回限りのものである。

ボンヘッファー、『主のよき力に守られて~ボンヘッファー1日1章~』
村椿嘉信・訳、新教出版社、1986年6月30日発行、316頁ff。

神さまは創造者です。そして創造主です。
被造物である私たちが、その神さまに向かって問う問いには限界があります。もし限界がなかったならば、それは神さまを創造主としていないこと、つまり神を私たちと同じ被造物としているということです。
神さまを被造物としてしまっているならば、その神さまの愛にも被造物特有の限界があることになり、神さまの愛が無限ではなくなってしまいます。

しかし私は神さまの愛が無限であることを知っています。ですから神さまは創造主であることを知っています。神さまが創造主ですから、私は被造物の限界を超えないようにします。

(祈り)
神さま、創造主であるあなたであることを感謝します。どうか、私が被造物の限界を超えることのないように守ってください。


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