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ありのままの真実な姿で生きる

〔しかし私はあなたがたに言う〕

2014年6月19日(木)

マタイ5:37

イエスがその弟子に求める真実は、罪を隠すことをしない自己否定によって成り立つ。
・・・
人間に対する真実なしに、イエスに対する真理はない。嘘は、交わりを破るものである。これに対して真実は、偽りを断ち切り、純粋な兄弟としての交わりの土台を据える。神と人の前で、ありのままの真実な姿で生きることなしに、イエスに対する服従はないのである。

ボンヘッファー、『主のよき力に守られて~ボンヘッファー1日1章~』
村椿嘉信・訳、新教出版社、1986年6月30日発行、304頁f。

ありのままの真実な姿とは、罪人である自分の姿ということです。
罪人である自分は、この罪を覆い隠そうとします。しかし神さまはその罪を明らかにしようとします。すべてのことをご存じである神さまは、罪人である私の姿を暴き出されるのですが、同時に赦しを与えてくださるのです。
ですから私はもはや罪人である自分を隠す必要もなく、恥ずかしがる必要もありません。

神さまの前に真実に生きる道を、神さまご自身が開いて下さったので、私は兄弟とも真実な交わりをすることができます。

(祈り)
神さま、あなたと兄弟たちの前で、ありのままの真実な姿で生きるものにしていただけましたことを感謝します。どうかそのように生かしてください。


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