〔しかし私はあなたがたに言う〕
2014年6月15日(日)
マタイ5:21~26から
イエスは自分に従う者に律法を示したが、その律法はまず、殺人を禁止し、彼らに兄弟になるようにと命じるものであった。「兄弟」の生命は神によって立てられ、神の手の中に置かれている。
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教会を侮蔑することは、礼拝を不真実なものにし、礼拝からもろもろの神の約束を奪う。
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神は、たとえひとりでも兄弟が名誉を傷つけられている時に、あがめられることを望まないのである。ボンヘッファー、『主のよき力に守られて~ボンヘッファー1日1章~』
村椿嘉信・訳、新教出版社、1986年6月30日発行、296頁f。
兄弟に向かって、怒りによって、そしてはずみで「愚か者」「ばか者」とののしる時、私たちはその兄弟を殺しているのです。兄弟を殺しているならば、そのような中で、神さまを礼拝することは成り立たないとボンヘッファーは語ります。
(祈り)
神さま、兄弟のいのちは神さまによって立てられ、神さまの手の中に置かれていることを教えてください。