〔イエス・キリストのかたちと同じかたちをとること〕
2014年6月9日(月)
本当の人間は、軽蔑の対象でも、神格化の対象でもなく、神の愛の対象である。
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神は、本当の、ありのままの人間を愛するのである。それゆえにこそ神は、本当の人間となったのである。
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人間は、与えられたすべての苦難が、自分自身の高慢な意思を殺し、神の裁きを受け入れるために役に立つことを知り、それを耐え忍ぶ。人間は神のこのような裁きに身をゆだね、神にのみ正当性があることを認めるときにのみ、神の前に正しくあることができるのである。
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新しい人間は、復活した方のかたちに変えられるとしても、ただ十字架と裁きのしるしのみを身におびようとするであろう。彼はそれを喜んで担うことによって、自分自身が聖霊を受けた者であり、比べようのない愛と交わりにおいてキリストに結びつけられた者であることを示すのである。ボンヘッファー、『主のよき力に守られて~ボンヘッファー1日1章~』
村椿嘉信・訳、新教出版社、1986年6月30日発行、284頁ff。
本当の人間となりたいと思います。
神さまの前にある時、本当の人間にしていただけることを感謝したいと思います。
苦難を神さまからのものとして受け取り、神さまの正しさを認めたいと思います。
ありのままの人間である私を神さまが愛していてくださることを確信したいと思います。
(祈り)
神さま、ありのままの人間としてあなたの前におらせてください。