〔神の秘密〕
2014年6月4日(水)
第1コリント2章7~10節。
現代のわれわれの生活の秘密のない状態は、われわれの退廃であり、われわれの貧困である。人間の生というものは、秘密に敬意を保てば保つほど多くの価値があるのである。
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秘密の前に敬意を払わないということは、われわれがこの世を計算することのできるものとして、あるいは利用しつくすことのできるものとして受け取ろうとしているということである。このことは、われわれが生命というものの経過における決定的な出来事を全く見ないか、あるいはそれを全面的に否定するということを意味する。ボンヘッファー、『主のよき力に守られて~ボンヘッファー1日1章~』
村椿嘉信・訳、新教出版社、1986年6月30日発行、276頁ff。
秘密。聖書のことばで「奥義」のことでしょうか。
「奥義」。これは一般的には「おうぎ」と読む言葉ですが、なぜか新改訳聖書では「おくぎ」と読ませています。このように読ませることで、なにがしかの意味を持たせているのだと思いますが、少し新改訳聖書への信頼について考え込むところでもあります。
さて、この「奥義」。原文のギリシャ語では「ミステリオン」。英語の「ミステリー」の語源になったと推測される言葉です。覆いがかかっている真理のことでしょうか。
神さまの知恵は、覆いがかかっていて、それが解き明かされるものである、と同時に、解き明かし尽くされることがないもの、でもある、ということでしょうか。
この世界の中に神さまの領域があり、その秘密は、まさに神秘であり、神秘を神秘にできるかどうかが、信仰者の人生の豊かさに結びついているということでしょう。
(祈り)
神さま、知りつくすことのできないあなたの真理を、そのままに喜び感謝することができますように。