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要求する者となるのか、感謝する者となるのか

〔聖なる者の共同体〕

2014年6月3日(火)

神は幻想を憎む。なぜなら、幻想は人を高慢にし、要求ばかり多い者とするからである。「交わり」についてのひとつのイメージを心に思い描く者は、その実現を神に、他者に、そして自分自身に要求するようになるのである。彼は、キリスト者の交わりの中に「要求する者」として入り、自分自身の律法を打ち立て、それによって兄弟と神とを裁こうとする。彼は他の人たちすべてに対して激しく「叱責する者」となり、冷然と兄弟の群れの中に存在し続ける。彼は、あたかも自分ひとりがキリスト者の交わりを「造りだす者」であるかのように、あるいは自分の幻想が人々を結び合わせるかのように行動する。自分の思いどおりにいかないことを彼は「失敗」と呼ぶ。彼のイメージが消滅すると、彼は、そこで交わりが敗れてしまったと考える。そして彼は、まず第一に自分の兄弟を「非難する者」となり、ついで神を非難する者となり、ついには絶望的な自己批判者となる。しかし神は、すでに、われわれの交わりに唯一の基盤を置いてくれているのであり、またイエス・キリストは、われわれが他のキリスト者との交わりの生活には入るよりも前に、他のキリスト者とひとつの「からだ」に結び合わせてくれたのである。
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それゆえわれわれは、「要求する者」としてではなく、「感謝する者」、「受ける者」として、他のキリスト者との交わりの生活に入らなければならないのである。われわれは、神がわれわれにしてくれたことに対して神に感謝する。われわれは、<神の召しと、許しと、約束のもとに生きている兄弟をわれわれに与えてくれた>ということに対して、神に感謝する。
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小さなことに感謝する者だけが、大きなものを受けることができるのである。

ボンヘッファー、『主のよき力に守られて~ボンヘッファー1日1章~』
村椿嘉信・訳、新教出版社、1986年6月30日発行、275頁f。

幻想に生きていないかどうかをみずからに問う必要があります。
要求する者になっていないかとみずからに問う必要があります。

(祈り)
神さま、みずからの描く幻想から自由にしてください。小さなことに感謝する者とならせてください。


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