〔聖なる者の共同体〕
2014年5月31日(土)
人間の心から生じる「精神的な愛」は、自分自身のために他者を愛するが、「霊的な愛」は、キリストのために他者を愛する。したがって人間の「精神的な愛」は、他者との直接的な触れ合いを求め、他者を「自由をもつ者」としてではなく、「自分につながれている者」として愛そうとする。・・・相手を支配しようとさえするのである。・・・それは奉仕しているように見えるところでも、なお、相手に何かを求めているのである。・・・その欲求を満たすことができなくなってしまうと、そこで終わりを迎え、憎悪や、軽蔑や、中傷に変わってしまうのである。
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しかし「霊的な愛」はキリストから生まれ、キリストにのみ仕えようとするのである。
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「霊的な愛」は、ただイエス・キリストの言葉によってのみ束縛されなければならない。それゆえ、キリストが私にこの愛のゆえに交わりを保つことを命じるところでは、私はその交わりを喜んで保とうとするであろう。しかし、キリストの真理が愛ゆえに私に、交わりを保つことをやめることを命じるところでは、私の人間的な愛のあらゆる抗議にもかかわらず、私はその交わりをやめるであろう。「霊的な愛」何かを求めるのではなく、仕えるものがあるゆえに、この愛は「敵」をも兄弟のように愛する。この愛は「兄弟」や「敵」に根源を持つ愛ではなく、ただキリストと彼の言葉から生まれ出る愛なのである。ボンヘッファー、『主のよき力に守られて~ボンヘッファー1日1章~』
村椿嘉信・訳、新教出版社、1986年6月30日発行、269頁f。
私たちは「霊的な愛」に生きると、平安で健やかな人生を歩むことができます。
「精神的な愛」に生きてしまうと、不健康で不安な人生となってしまいます。
(祈り)
神さま、霊的な愛に生きる者としてください。