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全能者の陰にやどる人

私たちは、「全能者の陰にやどる人」なのだろうか。それとも、誰かある「能力ある者の一人」の保護の中に住んでいるのだろうか。

リュティ、『この日言葉をかの日に伝え』、174頁
詩篇91章1,2節
2013年05月15日(水)

全能者の陰にやどる人に変わることのない平安と恵み、人生を生きるための力が与えられます。

誰かある人。すなわちどんなに優れていて、どんなに愛深くて、どんなに力に満ちていても人でしかない者の保護を求め、その中に住んでいるとしたら不幸です。平安も恵みも、人生を生き抜く力もありません。

またこの「誰かある人」に牧師がなっている、あるいはなろうとしているとすれば不幸です。信徒にとっても、また牧師にとっても不幸です。

牧会、伝道の評価は、この「誰かある人」ではなくいかに全能者の陰にやどる人へと導かにかかっています。

そのためには導く牧師も、しっかりと全能者の陰にやどる者でなければなりません。


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