彼は、「消極財産」が多いことを十分に知っていられたが、もろもろの国を嗣業として求められた。キリストは、この世の負債を受けつぎ、それを最後の一円に至るまで支払われた。そこには、私の負債も含まれている。それはすでに支払われ、私は自由で負債のない者である。
リュティ、『この日言葉をかの日に伝え』、156頁
詩篇2章8節
2013年04月29日(月)
聖書に嗣業という言葉が出てきます。新改訳聖書では「ゆずり」と訳されています。遺産ということです。
遺産には大きく二種類あり、正の遺産もあれば負の遺産も有ります。負の遺産のほうが多い場合には遺産放棄をします。
神さまがこの地を嗣業として与えるといわれましたが、遺産としてのこの地は正の遺産が多いのかそれとも負の遺産が多いのか。アダムとエバ以来この地には負の遺産がどんどん膨らんでいるのです。誰がこのような負の遺産の膨らんだ地を受けつぐのでしょうか。
この詩篇の言葉はイエス・キリストにおいて実現したとリュティは語ります。主イエスさまは、この地の負の遺産の大きさ、負債の大きさを十分にご存じで、そのうえでこの地を受けついでくださったのです。十字架と復活によってその負債を一切支払ってくださいました。
この負債の中には私の負債も含まれています。ですから私も自由で負債のない者にしていただきました。