ソクラテスの杯には、一人の人と哲学者の死があり、キリストの杯には、世界の救い主の死が―すべての者の死の苦しみがあったのである。
リュティ、『この日言葉をかの日に伝え』、108頁
マタイの福音書26章36節
2013年03月13日(水)
主イエスさまは十字架にかかって死なれました。神の子、神ご自身であるお方が死なれました。決して死ぬ子のない神が死なれました。それは私たちの死の苦しみを経験されるためでした。これによって罪びとであった私たちは救われました。
主はこのために来てくださいました。ではなぜゲッセマネの園で自分が十字架に向かうことを祈られた時、恐れられたのでしょうか。
それはすべての者の死を、死なれたからです。