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主から分離しない

彼らが主と主のためになされたことを、貧しい者たちおよび貧しい者たちのためになされるべき事から分離する場合、彼らは正しくないのである。

リュティ、『この日言葉をかの日に伝え』、104頁
マタイの福音書26章11~13節
2013年3月9日(土)

主イエスさまになすことと、貧しい人々になることとを、「分離」してしまったところに弟子たちの問題がある、間違いがあるとリュティは語ります。

主イエスさまこそ、最も貧しくなられたお方です。主の貧しさが分からなかったのです。

いつでも罪びとである人間は、主イエスさまの貧しさが分かりません。

イエスさまこそ、私の罪のために、最も貧しくなってくださったのです。

最も貧しくなってくださったまことの王、まことの神に、見合うほどの捧げものを私たちは持っていません。

だから、主イエスさまの貧しさが分かれば、すべてをささげずにはいられないのです。

ささげることによって、かえって私たちは真の豊かさに生きることができます。

なにも金品のことを言っているのではありません。自分の手から離すことができなくて、問題となっていることがどれだけあることでしょうか。


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