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高価すぎるということが

もしその香油がすべての王の中の王である方に注がれる香油である場合には、それが高価すぎるということがあり得るだろうか。

リュティ、『この日言葉をかの日に伝え』、102頁
マタイの福音書26章8,9節
2013年3月7日(木)

主への奉仕が高価すぎると考えてしまうことが、私たちの問題であるとリュティは語ります。

主イエスさまは私たちのために命をささげてくださったのです。そうであれば私たちが払いすぎるということはありません。

主への奉仕が高価すぎると考えてしまうことは、主がささげてくださった命の価値を下げてしまうことです。

主は私たちを救うために、ご自身の命をささげてくださったのですから、私たちの命は、神がそのいのちをささげるほどに尊いものであるのです。

ですから、主への奉仕が高価すぎると考えることは、自分自身の命の価値を低くすることでもあります。

主への奉仕が高価すぎると考えてしまうことは、自分自身の価値を見失うことになり、結果、私たちに生きる上での辛さを生み出しています。


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