彼が語ろうとしているのは、イエスの何らかの御言葉というようなものではなくて、キリストの将来における栄光と最終的勝利についての明確な説話なのである。このことを忘れる者は、イエスの受難に対しての正しい視線を失ってしまっているのである。
リュティ、『この日言葉をかの日に伝え』、96頁
マタイの福音書26章1節
2013年3月1日(金)
主は十字架に向かうことを弟子たちに明確に語られました。それとともに復活と最終的な勝利について明確に語られました。
苦難の後には必ず主の栄光があるのです。
今日は3月1日。東近江に赴任して1年が過ぎました。主の守りを感謝しています。
昨年は3月1日に私だけが引っ越してきました。3月22日の家族の引っ越しまで単身赴任状態で週に二日ほど大津に帰るという生活でした。それに加えて二人の子がそれぞれ大学受験、高校受験でした。3月はそれぞれが卒業式。高校受験をする末娘は志望校を急きょ変えての受験でした。大学受験の長男は私の引っ越しした1日が卒業式。おまけに網膜剥離の診断がなされ、家族の引っ越す22日に入院、そして手術が続き、4月の大学入学式にぎりぎり間に合っての退院でした。多くの方々の祈りがありましたこと、本当に感謝でした。送り出す側であるにもかかわらず大津の教会の皆さんはお見舞いやなんやかんやとお世話をいただきました。思い出しても涙が出ます。3月の最終週には恒例の教師リトリートがありましたが、欠かさず出席してきましたが、止む無く私だけの参加となりました。
それから1年が過ぎました。おかげさまで息子の網膜剥離はこの2月に完治のお言葉を医師からいただきました。娘もすっかり慣れた高校生活を楽しんでいるようです。妻は加齢でしょうか。節々の痛みを訴えるようになりましたが何とか元気にしています。私はというとひしひしと自分の足りなさを覚えています。
マラソンの君原選手は次の電信棒までと自分に言い聞かせ励まして走り続けたそうです。
いつまで続くかわかりませんがあと1週間、あと1か月、あと1年と自分に言い聞かせ励まして、労苦は今日一日に十分であるとのイエスさまのお言葉を頼りに歩んでいきたいと思います。
最終的な勝利者である主イエスさまが共にいてくださいます。