確かに私たちは、「より高い存在」を信じ、「より高い力」を寛容に承認するだろう。(そうしようとしない愚か者が、どこにいるだろうか。)
しかし、私たちは、キリストによる仲介などということについては、何も知ろうとしないし、なぜそのような「仲介業」が必要なのか、理解しない。
リュティ、『この日言葉をかの日に伝え』、90頁
第1テモテ2章5,6節
2013年2月25日(月)
仲介業、仲保者、それが必要なのです。
おろかにも自分自身の罪に気付かない、あるいは気づこうとしない。それで仲保者などいらない、あるいはその存在の意味を考えなくなってしまうのです。
イエスさまが、おられること、なんと幸いなことでしょうか。