助けを必要とする大勢の人々が、エリコでは、イエスの訪問を待ち望んでいた。ところが、彼が来られると、自分こそイエスの訪問をもっとも必要としていると考えているすべての者たちを素通りして、何不自由なく暮らしていて万事順調な一人の男の家に、彼は入られる。・・・
失われた状態がどういうものか、失われた者がどういう様子をしているかを、彼だけが御存じである。
リュティ、『この日言葉をかの日に伝え』、85頁
ルカの福音書19章10節
2013年2月20日(水)
ザアカイさんは取税人で町の嫌われ者だった、と教会学校では学びます。見るからにやくざのような、福音が必要な存在であったと学びます。それが失われた者であり、そのような失われた者の所に主イエスさまは真っ先に訪ねてくださるのだと。
しかしリュティは、ザアカイは人の目からは何不自由のない万事順調な男であったといいます。エリコの町にはもっとほかに助けが必要な大勢の人々がいたといいます。
にもかかわらず主はザアカイを訪ねてくださいました。
これはすべての人の悲惨と悩みを知っているのは、イエスさまだけである、ということ。イエスさまはご自身の訪問の必要なものがどこにいるかをだれよりも知っていてくださり的確に訪問してくださるということ、を伝えています。
主は私たちの所にも訪ねてくださいます。