なぜかと言えば、私たちが自分自身に全面的に信頼し頼るのではなく、貧しく無力なものとして神に身を向けるときにこそ、キリストは、常に私たちの救い主になってくださるのだからである。
リュティ、『この日言葉をかの日に伝え』、64頁
へブル人への手紙3章14節
2013年1月31日(木)
豊かである時、豊かであると思い込んでいる時、神さまに身を向けることができません。そうして救い主であるイエスさまが見えなくなるのです。
自分自身には信頼しない。人間的なものには信頼しない。自らが貧しく無力なものであることを知る。そうしてはじめて神さまに身を向けることができるのです。
その時イエスさまは私たちの救い主となってくださいます。