信仰共同体の主は、その子らが鎖につながれることを許されるが、しかし主は、その信仰共同体を捕える牢獄よりも偉大であって、この世のどのような権力者も、彼らをいつまでも鎖につないでおくことはできないのである。
リュティ、『この日言葉をかの日に伝え』、56頁
使徒の働き12章7節
2013年1月23日(水)
神さまは、私たちキリスト者を鎖につながれることを許されるのです。イエスさまを信じて歩めば何の問題もないか、と言えば聖書はそうではないと語ります。すべての人生に問題があるように、キリスト者の人生にも問題は起こってきます。苦しみがあります。悲しみがあります。
しかし神さまは、そのような牢獄よりも偉大であるとまた聖書は語ります。ですからいつまでもそのような鎖につなががっているままではありません。解放されるのです。
トンネルとともに脱出の道も備えられているのです。備えてくださるお方は主イエスさまです。