すなわち、私たちの方が先ず、最初はなぜそこに行かなければならないのか良く分からないが後になって初めてその理由が分かるというような場所に、行かねばならないことになる。
リュティ、『この日言葉をかの日に伝え』、52頁
ゼカリヤ書8章21節
2013年1月19日(土)
神さまを礼拝するために、そうして神さまから導きのみ言葉をいただくために、あるいは祝福のみ言葉、慰めのみ言葉をいただくために、「いかねばならない」とリュティはゼカリヤ書から語ります。
行く、つまり行動が必要であるといいます。神さまはすべてのことをご存じで、全能なるお方ですから、私たちが何もしなくてもすべてのことがお出来になります。
しかし時にまことの神さまは私たちを祝福しようと、待っていて下さる、のです。
信仰の道を前進しましょう。こちらから神さまの方に一歩前進しましょう。