エリエゼルは、新約の発端のところで深い配慮をもって膝まずくことを許されているヨセフを目指す一つの約束である。神のはしためであるリベカとマリアのところへ、神のしもべであるエリエゼルとヨセフが来る。はしためとしもべーそれが、聖書における本来のそして唯一の尊称なのである。
リュティ、『この日言葉をかの日に伝え』、28頁
創世記24章12節
2012年12月27日(木)
はしためとは「婢」という漢字もありますが、広辞苑では「端女」とありました。召使の女性のことです。しもべは「下部、僕」ですから、身分の低い者、雑事に使われる者ということで、つまり奴隷のことですね。
神さまのまえに、はしためでありしもべである、ということは、「尊称」であるとリュティは言います。それが神さまに用いられる道であり、祝福の道なのです。
自分が王様であり主人であろうとするからかえって人生の奴隷になってしまうのです。人生を本当に自由に生きるために、神さまのしもべ、はしためにならなければなりません。