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付随している別の約束

キリストが来られたということは、喜びの音信(おとずれ)の最初の告知である。しかし、それには、キリストが再び来られるであろう、別の約束が付随している。

リュティ、『この日言葉をかの日に伝え』、27頁
詩篇125編1節
2012年12月26日(水)

キリストが再び来られるであろう約束。それを再臨といいます。クリスマス。キリストが降誕されたこと。それは人としての生涯を歩まれ、十字架にかかり死なれ、三日目に甦られたこと。そして天に昇られたことと続きます。さらに再びやってくるとの約束が与えられています。

私たちは天に帰られた時と再び来られるであろう時の間にいます。

それはどんなにつらくとも待ち望むものであるということです。

ただ再び来られるのがいつであるのか。それは誰も知りません。この誰も知らないということがとても大切なことです。世界では、それがいつであるということを言って人々を惑わす声が飛び交っています。しかし神さまを信じる者は惑わされません。いつかは知らないということにしっかりと立ちましょう。知らないということが、聖い生き方、よい生き方、愛の生き方を生み出します。


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