なぜこのマリヤが神を担う者であることを許されたのか」と自問して、彼女が持っていたと思われる特別の長所をさがし求めるとき、私たちは、「卑しさ」という途方もなく驚くべき答えを聞く。彼女があるところの何かが、また彼女をすべての人間より卓越させる何かが、彼女を選ばれた者にしたのではなかった。そうではなくて、彼女がないところの何かが、彼女を選ばれた者にしたのであった。永遠の神が、その御子がそこから大地に入ってゆくことができるような地上の一点を、さがし求められるとき、その目がもっとも低い一点に留まったのである。
リュティ、『この日言葉をかの日に伝え』、23頁
ルカの福音書1章48節
2012年12月22日(土)
神さまは御子イエスさまをこの地上にお遣わしになるにあたり、マリヤを選ばれました。マリヤには選ばれるべきものを持っていたわけではありません。もし持っていたとすれば、「持っていない」というものを持っていたということでしょう。
貧しく、虚しい者と主は共にいてくださいます。