今日一つの時が過ぎ去り(完全に徹底的に過ぎ去り)一つの新しい時が始まっているということを、様々な徴が指し示している。しかし、私たちが今その中に立っているこの時が、あの究極の時であるかどうかということは、天の御使いたちも知らず、御子でさえ知らず、天にいます父なる主だけが知っていられることである。
リュティ、『この日言葉をかの日に伝え』、20頁
ルカの福音書21章8節
2012年12月19日(水)
その時を知らないということが人間としての潔さです。知らないから待ち望むことができるのです。
しかしこれは逆ではないかと思います。けれども聖書はそうだといいます。このことがわかるようになりたいと思います。