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神が中心点

神が中心点である。私が中心にいる必要はない。また誰も、中心点にいる必要はない。さらに、もし私や誰かがすべての物の中心にいなければならないというのであれば、それは、実に不気味で耐え難い思想である。もしそういうことになれば、その人は、天と地を担い、人間たちと動物たちを保持しなければならないということになるだろう。そして、何よりも耐え難いことには、もし私が中心点でなければならないとすれば、私は私自身を担わなければならないだろう。

リュティ、『この日言葉をかの日に伝え』、333頁
ローマ人への手紙8章30節
2012年10月14日(日)

自分中心ということが罪であると聖書は語ります。自己中心とはわがままという意味でもありますが、わがままを振る舞おうとすることはまだ無邪気なのかもしれません。自分が中心ということの重圧をしれば、そんな無邪気な、また悠長なことは言ってられません。罪に生きるということは、本当は恐ろしいことなのです。

神さまを信じて、神さまを中心点において生きることができるということはなんと素晴らしいことでしょう。なんと自由なことでしょう。

せっかくこの信仰をいただいたのですから、どんな時も神さまを中心に置くことの恵みを味わいたいと思います。


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