私たちプロテスタントの聖餐は、それを始められた方の意思によれば、彼の一度だけの犠牲の「記念」である。
リュティ、『この日言葉をかの日に伝え』、332頁
ヘブル人への手紙9章12節
2012年10月13日(土)
前任の教会でもそうでしたが、今赴任している教会でも毎月第1日曜日(主日)の礼拝にて聖餐式が行われています。本当は毎週行うべきですし、また行いたいと思っています。
聖餐式は主の苦しみの記念であるといいます。ただ思い出を想起するというのではなく、記念するというのです。
主イエスさまの十字架の犠牲は、一度限りの犠牲です。繰り返し行わなければならない動物などのいけにえとは違い、神さまのいのちの犠牲だったからです。完全な犠牲です。
私たちは主イエスさまの十字架と復活を信じることによって、完全な救いにあずかることができます。