聖書を持って、「果たしてそのとおりかどうかを知ろうとして」(行伝17:11)熱心に調べるということは、一人一人のプロテスタント・キリスト者の権利であり、また義務である。
リュティ、『この日言葉をかの日に伝え』、331頁
ヨハネの福音書4章42節
2012年10月12日(金)
目には見えないけれども神さまがおられます。その神さまは天と地をお造りになり、今もすべてを支えておられます。すべてをまた私たち人間をみこころのままに導こうとしておられます。しかし罪人である人間は神さまのみこころに従わず自分勝手な道に歩んでしまいます。神さまのみこころの道に歩むことが、真実の幸福であるにもかかわらず、自分勝手な道に歩むのでさまざまな問題が起こっています。今一度神さまのみこころの道に立ち返らなければなりません。
では神さまのみこころの道とはなんでしょうか。どうすれば神さまのみこころを知ることができるのでしょうか。さまざまな修業を積むことでしょうか。神秘的な体験をすることでしょうか。霊能者のような方の言葉に耳を傾けることでしょうか。
いずれの道もみこころを知ることはできません。知ることができないどころか誤った道にますます進んでしまうのです。
私たち人間にはすでに聖書が与えられています。聖書の中に神さまのみこころが詰まっています。すべて明らかにされています。聖書を学びましょう。聖書の深さ広さを学びましょう。あやまりのない、充実した、確かな人生を歩むことができます。感謝。