私たちは、神に属している。しかも神は、私たちの身代金を支払ってくださったのであるから、私たちに対して第一の要求権を持っていられるのである。・・・
私たちがキリストに拘束されているという限りにおいてだけ、私たちは「人の奴隷」ではないのである。・・・
キリスト者は、自分が最高の主に服する者だということを知っているという意味で、自由な人間である。リュティ、『この日言葉をかの日に伝え』、326頁
第1コリント7章23節
2012年10月07日(日)
自分は自分のものだと思い込んでいるので、自分の思い通りにならないことは不自由なことですが、自分の思い通りに生ようとしてかえって不自由になることがあります。聖書は自分も隣人もすべて神さまのものだと語ります。神さまが造られ、神さまが贖われました。ですから神さまのものなのです。
神さまのものということは、もう人の奴隷ではありません。
神さまのお心を大切にしましょう。神さまの御心の中に生きるところにまことの自由があります。