一般的な神信頼というものがあって、そのようなものは早晩、動揺に陥らざるをえない。それは、あの十字架につけられた方抜きの神信頼なのである。そのような神信頼は、青空のもとでは何とかやってゆけるが、嵐の夜の恐怖の中では、やってゆけなくなるのである。
・・・キリストに基盤を持つ神信頼に与えられる「報い」は、すべての思いにまさる平安である。リュティ、『この日言葉をかの日に伝え』、327頁
ヘブル人への手紙10章35節
2012年10月08日(月)
一般的な神信頼は日本人の得意とすることではないでしょうか。しかしそのような信頼は「青空のもとでは何とかやってゆけるが、嵐の夜の恐怖の中では、やっていけなくなる」のです。
十字架の主イエスさまを土台とした神信頼に生きたいと思います。