人の足を洗うこと。そのことを喜びとする。その喜びを学ぶところが教会です。
(加藤常昭、『加藤常昭信仰講和 5 教会』、教文館、2000年10月10日発行、209頁)
私は自分自身がこのことを本当に分かっているだろうか、と自問します。人生の学び場としての教会の存在です。サービス過剰な現代社会において、常に身を置く環境が自分自身にサービスをする環境であり、相手が自分にサービスをする存在である、とどこか思い込まされています。しかしそのようなことでは人生は開かれないのです。
人の足を洗う。いわば愛すること、そのために犠牲を払うこと、そのことを喜びとすることができればなんと素晴らしい人生でしょうか。それを教えてくれるところは特に現代社会においては稀ではないでしょうか。本来そういうことを教えていただけるはずの家庭も生まれたときから自分にサービスをする環境となっているのではないかと思います。
教会の存在は大切です。それはそこが天国のような自分に気持のよいところだからではありません。時に問題が起こり、時に自分にとっては聞きたくない言葉を聞かされ、神さまへの愛を試される、そういうところをもっているからです。なんと素晴らしいところでしょうか。