自分や自分の幸福をすべての価値の最高のものと見なすことで自分の真の意味を発見することはできないし、幸福や自己実現や満足は直接に探求しても見つけることはできない。我々の価値は、より高い源から与えられるものであり、そのより高い存在に仕え、愛するときにのみ我々は満たされる。本当の満足は、神に従うということの副産物として、そのとき受けるものである。
エリクソン、『キリスト教神学、第3巻』、「第22章、人間論への序論」、23ページf
我が家の猫を見ていると食べて寝るだけの毎日のように思えます。悩みがあるのかないのか。生きていくことに行き詰まるということはないように思うのですがいかがでしょうか。
私は何で生きているのでしょうか、何のために生きているのでしょうか、何によって生きているのでしょうか。
幸福や自己実現や満足を少なからず求めているのは事実であると思います。
しかしそれ自体を探求しても見つけることはできないといいます。そうなのです。それ自体を見つけようとするから行き詰まるのです。行き詰まるということは息が詰まってしまって生きることができなくなるのです。
私たちの価値はより高い源、すなわち神さまからいただくのです。神さまに仕え、神さまを愛するときにのみ、幸福や自己実現や満足が、真に与えられるのです。