任命されたリーダー・・・権限に服従して受動的に仕事をさせられているだけなら苦役となる。
任命されたリーダーにまつわるもうひとつの問題点は、いったん選ばれると権限とパワーの人となってしまいがちな点に存する。
(金井壽宏、『リーダーシップ入門』、90-91ページ)
牧師が教会に赴任するときには神さまからの召しをいただて就任します。そこには教会の事情、団体の事情、牧師の個人的な事情があります。さまざまな事情のなかで赴任します。聖書はそれを「派遣された」という場合が多いのではないでしょうか。派遣されたという場合、自分から赴任したというのではなく、神さまから派遣されたということであり、自分自身の働きをするというのではなく、神さまの働きをするという信仰的な確信があります。この信仰的な確認はとても大切であると思います。
任命されたリーダーが権限に服従して受動的に仕事をさせられているだけなら苦役となるということですが、この神さまから派遣されているという確信がないと、結局団体や教会や自分自身の事情によって「仕方なしに」赴任したという気持ちがいつまで経っても拭いきれず、結果日々の牧会が苦役となってしまうということでしょう。神さまは私たちを用いてご自身のダイナミックなみわざをなそうとしておられるのです。
今ひとつは、権限とパワーの人となってしまいがちということです。神さまから派遣されているということは、自分自身も神さまのしもべでありフォロワーであるということですから、神さまの権限とパワーを自分自身にも謙虚に受け止めていなければなりません。神さまからの派遣という点が見えなくなってしまうと、いたずらに自分自身が権威主義的になってしまうということでしょう。これは宗教という現場では大変困った問題を生み出す可能性があります。
やはり任命されたということを愛の神さまからの任命である、ということを確かにしなければなりません。