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リーダーであること、フォロワーであること

1,喜んでついてくるフォロワーがいるか。(クーゼス・ポスナーの基準)

2,そのフォロワーは受動的でなく能動的自覚的に喜んでついていくことを選んでいるか。(ハイフェッツの基準)

(金井壽宏、『リーダーシップ入門』、78ページ)

リーダーは、フォロワーがいて初めてリーダーとなり得るということでしょうか。親は子どもがいて初めて親になることができます。いわば子どもによって親にして頂けるということです。それとよく似た関係で、リーダーであると言い張っても誰もそのあとをついていかないならばやはりリーダーではないのです。もちろんリーダーシップはないといわなければなりません。

牧師のリーダーシップを考えるとき、少なくとも信徒や信徒の執行部である役員、執事といった立場の方々が、喜んでついてくるフォロワーであるという状況。能動的自覚的に喜んでついていくことを選んでいるかということ。

もちろんこれはリーダーである牧師が、まずフォロワーとして主イエスさまに向かっているかが問われているのだと思います。主イエスさまへのフォロワーとしての牧師の生き方が信徒を主イエスさまへのフォロワーにするのです。あるいは能動的自覚的に喜んで主イエスさまについていく道を選ぶ信徒を生み出すのです。


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